
| 手入れの行き届かない荒れ果てた道を訪ねてくれて、ありがとうございます。心から感謝しています。ここでみちくさをしながら、楽しい思い出と優しさだけを心に刻んでほしいと願っています。 でも、荒れ果てた道ゆえに、訪ねてきた人を傷つけてしまうこともあると思います。嫌気がさし、疎ましくなり立ち去ることもあるでしょう。 もし、そうなってここを忘れてしまったとしても、何かのはずみで思い出すようなことがあったなら、また、ちょっとだけでもみちくさをしてほしいとも願っています。 そして、訪ねてくれたこと、巡り逢えたことへの感謝の証しとして、この世にいることが赦されている限り、私はいつでも、ここにいます。
失礼な言い方かもしれませんが、関東近辺の低い山々や近郊の名数は高齢者で溢れ、現代の姥捨山状態になっています。町なかに高齢者の居場所が無いのです。 ただ、「高齢者自身が、次世代に引き継ぐ人脈やノウハウを持ち合わせていない」というのは、(同氏のテーマの視点からはズレた見方かもしれませんが)戦後「職縁社会」を創り出す要因となった価値基準での評価のような気がします。今、最優先して次世代に引き継がなければならないのは「人として在るべき倫理観」であり、これをを保ち続けている高齢者はたくさんいます。現代日本の社会構造自体が次世代に引き継ぐ「価値」および「術」を知らないのではないのでしょうか。公民活動やサークル活動を通し多様な人々と接してきて受けた感触です。 現時点では同氏が提言する「好縁社会」に接する(あるいは自ら創り出す)ことができる人たちは、社会全体から見てごく僅かのような気がしてなりません。 なぜならば、地域や社会に現存する様々な場やサークル等、および、そこに集う人々の多くは「職縁社会」と大差のない性格を備えているからです。そこから離れれば「職縁社会」から離れたのと同じ結果になってしまうのです。 当然、ここは「経済の活性化」の一端を担えるような場ではありませんが、「職縁社会」から生還するためにも「好縁社会」への入り口として、この世にいることが赦されている限り、ここに存在し続けたいと望んでいます。 戻る |